牧師の一週一言

2020.6

2020.6.28  

 先週の創立34周年記念礼拝は、義兄が亡くなったために急遽帰省させていただきました。皆さんにご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。

 姉達には子どもがいませんし、姉は現在くも膜下出血の後遺症で認知症となり入院しています。義兄(享年86歳)の葬儀は家族葬で私が執り行いました。姉は亡夫の葬儀には出席できませんでした。月曜日は納骨を済ませ、火曜日迄死亡後の手続きをして、水曜日に帰宅しました。

 コロナの影響で、飛行機も行きの金曜日は、千歳までの直通は満席で羽田経由で行きました。帰りは格安航空便に乗りましたが、羽田空港と関空での連絡通路の長さに閉口しました。

 先週は、大切な創立記念会を休む事になりましたが、幸い中村先生をお願いしていましたので、先生には感謝の言葉もありません。教会行事と葬儀が、無事に終わった一日であったことを感謝致します。

2020.6.21 中村榮志先生からの一言 

 『神の御言(聖書)は私達に命を与える』と言われております。
私は20代の頃に瀬戸内海の小さな島を尋ねて行きました。この島はハンセン氏病患者の島として有名でした。私はここで玉木愛子さんと言う女性を紹介されました。この方は、ハンセン氏病であることから、生まれ故郷を離れてこの島にたどり着きました。両親は彼女に『お前が死ぬ時は、その体が火山の火の中か、深い海の底に沈むように。お前の体が残れば、私たちの家族の中から、ハンセン氏病が出た事を世間に知らせることになるからね』と言われて家を出たようでした。実の親からも見放されて、辿り着いたのがこの島でした。

 玉木愛子さんはこの島で、キリストの尊い御愛と、この自分の為に十字架にまでかかって下さったキリストの福音と出会い、以来溢れる神の愛は、彼女の上に降り注がれて行きました。キリストの尊い御愛を知った彼女の聖書への想いは、実に素晴らしいものでした。初めは自分の目で読んでおりましたが、次第に目が見えなくなり指で読みますが、指の感覚も失いました。次に唇で読むようになりましたが、唇も感覚を失い、ついに最後に残された舌読でもって聖書を読み続けておりました。

 神の愛と赦しの福音は、玉木愛子さんをして、ハンセン氏病の現実の中で光り輝いていたのです。

2020.6.14 

 私はまだ伝道実習生だった時に出席した近畿教会 教職研修会の開会礼拝で、今は亡きロルフ・グードイ先生の説教を聞きました。コリントの信徒への手紙 一 1:26以下から「主は何の価値もないものをお選びになった」という実に単純明快な説教でした。そして、先生は「主に選ばれて教職として召された者は、後を振り返ることなく生涯を捧げて主にお仕えしよう」と呼びかけられました。私は静かな口調で語られる先生のメッセージから「そうだ、自分もどんなに苦しい事があっても伝道者として主にお仕えしよう」と決意を新たにしたことを懐かしく思い起こしています。

 その教職者会の2日目の朝、会場で私の肩に手を置いて「平井兄弟、伝道者として神に仕えることは素晴らしいですよ」と励ましてくださいました。グードイ先生は「愛と柔和」の人でした。人を責めたり、争ったりせず、一人ひとりを大切にされ、その人の存在を肯定的に受け止められました。

 以前ノルウェーを訪問した時、先生のお宅で一週間近く滞在させていただき、ご夫妻とお交わりをさせていただきましたが、先生は日本人を心から愛し、近畿教会を愛された方でした。
昔を振り返り、宣教師の方々が開拓伝道してくださったことによって、今の私たちがあることに感謝するばかりです。

2020.6.7 

 以前、メノナイト・ブレザレンの大山勝先生の「ひとくちのパン」という本を読みました。その中に「親施」という言葉について紹介されていました。大山氏の説明によれば、この親施という言葉は、「お年をとられた人が、何もしなくても、そこにいるだけで周りの人々をなごませ、周りに益をもたらし、施しをしているのだ」と言っています。
いつもガミガミ言って、頑固さを曲げず、自我を突っ張っていると(これは私のことかな?)「親施」どころか「親害」になりかねません。しかし、年齢によらず、若い人でも、その人がいるだけで、その場が和やかになり、温もりを与えてくれる人は素晴らしいです。そのような人になりたいと思います。
 私たちも、主に愛されている自分を感謝する時、おのずと「親施」を表す生き方になるのではないでしょうか。