牧師の一週一言

2020.8

2020.8.30 本日の説教要旨「十字架の主に従う」 

 一人の少年が礼拝堂に入ってきた。すると、会堂守が十字架の前に立っていたので、「そこに立っていると十字架が見えないよ」と叫んだ。
 主イエスは弟子たちにご自分が十字架にかかり、死に、3日目に復活するということを初めから話されなかった。一番弟子のペトロがフィリポ、カイザリア地方で「あなたは神の子メシア(救い主)です」と告白した直後、主は宗教学者の手にかかって殺されることを話すと、ペトロはこれを否定した。ペトロも会堂守のように、主の十字架の前に立ちはだかったのである。

 ペトロは、主をわきに引き寄せ「主よとんでもない事です」といさめた。これは「神があなたを憐れみ、守り、間違いを正されますように」という意味である。主は「サタンよ、引きさがれ。あなたは私の邪魔をする者だ。私の後ろに引きさがれ」と叱責される。「引きさがれ」とは「私の後ろ、背を見て従え」という意味である。そして、私について来たい者は自分を捨て、自分の十字架を背負って従え」と説かれる。
 一人の男が、自分の背負っている十字架は重く、他の人が背負っている十字架は軽く見えたので、主に他の人の十字架と何回か変えてもらったところ、最後に自分が背負っている十字架が一番軽かったことに気付いたという。
 私たちも、自分に与えられた十字架を背負い、主の背中を仰いで、信仰の道を歩みたい。

 皆さまの上に主の祝福がありますように祈ります。

2020.8.23 本日の説教要旨「岩の上に建てられた教会」 

 私が津教会で伝道していた時、市内の日本キリスト教団の津教会、阿漕教会、示路教会、聖公会、カトリック教会(神父)と輪番で牧師会を開いていた。その時、伊勢市のキリスト教団山田教会を訪問し、井ノ川牧師から証しをお聞きした。

 山田教会は1897 年(明治30 年)、現在の伊勢神宮 外宮前の土地を購入して教会堂を建て、十字架を掲げようとした。しかし伊勢神宮のお膝元であるために住民の反対によって十字架を掲げる事は許されなかった。そこで、教会員は思案の末に屋根の軒瓦に十字架を刻んだのである。まるで隠れキリシタンのようであった。
 主イエスは、フイリポ、カイザリア地方に行かれた時、弟子たちに「人々は私のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちはさまざまな人の名前をあげて伝えた。そこで弟子たちに尋ねられた。シモンはその時「あなたは救い主メシア・生ける神の子です」と告白し、主もこの言葉を大変お喜びになり「あなたにこの事を現わしたのは人間でなく、父なる神である」と言われた。そして「あなたの告白の上にわたしの教会を建てる」と言われた。カトリック教会は、この後、主の言葉によってペトロは教皇とされた。プロテスタント教会は「ペトロの信仰告白の上に主の教会を建てる」と宣言する。さらに「天の国の鍵を授け、その鍵によって天と地をつなぐ」のである。
 『あなたはペトロ、あなたの上に私の教会を建てる』
 今、このコロナ禍にある時、私たちは在宅礼拝を余儀なくされている。私たちは主のみ言葉に耳を傾けて「あなたの上に教会を建てる」と主が宣言してくださる事を心に留めて、この困難の中にあっても乗り越えたいと思うのである。

2020.8.16 本日の説教要旨「あなたの願い通りになるように」 

 宗左近という詩人の戦争体験記を読んだ。大空襲を受けた東京は炎の海と化した。小学5年生の彼は母と手をつなぎ、その中を脱出しようとしたが、逃げ遅れた母はためらう彼に「行け、行け」と叫んだ。彼はこのすさまじい体験を通して、自分の命を顧みず、我が子を救おうとした母の執念を目の当たりにした。

 主イエスは弟子たちと共にティルスとシドン地方(異教の地)に行かれた。主イエスのもとに走り寄ってきた女は、娘の病気を癒して欲しい一念で主に懇願したが、主は助けを求める彼女に沈黙された。12弟子も彼女の口を封じようとしたが、彼女はますます激しく叫び続けた。「助けて下さい」は「悲鳴を聞いて駆けつける」と言う意味である。そればかりか主は「私はイスラエルを救うために来た。」主は彼女を「小犬」にたとえられた。しかし、「小犬もテーブルから落ちるパンくずをいただきます」と反論した。彼女は、「自分は神のみ前で食卓に与る値打ちの無い者」だと思っていたが、主は「女よ。あなたの信仰は立派である」と称賛された。女は、キリストの愛の素顔を見たのである。

 ある神学校の教授が、卒業して行く生徒を連れて奈良の大仏を見に行った。大きな鐘をステッキで小さく何度も打っていると、そのうちに大きな音がゴーンと鳴りだしたという話を聞いたことがある。

ルターは、「キリストを信じる者の人生は失望に終わらない」と言っている。

私たちも、あきらめずにたたき続けようではありませんか。

2020.8.9 本日の説教要旨「人生の海の嵐」 

以前、カトリック教会の熱心な青年が献身するため熊本の人吉から函館のトラピスト修道院に向かった。途中、海は大荒れ、陸も暴風雨となり、命がけで目的地に着いた。「私たちの人生は海路も陸路も嵐だ」と言った。

 主の弟子らは五つのパンと二匹の魚の奇跡の場から、主イエスによって小舟で向こう岸へ行くように命じられた。主は弟子たちの信仰生活は、華やかで、奇跡の伴うものではなく、多くは嵐との戦いであることを、実物教育をもって教えられた。弟子の多くは漁師で、彼らは海に生きる者として専門的な知識と技術と経験があった。しかし、突風が吹き荒れた時には何の役にもたたなかった。弟子たちの船に近づく主に、ペテロは波の上を歩いて主の所に行かせてくださいと申し出た。彼は弟子として、何度も失敗したが、彼には主を愛する愛があった。

 ノルウェーの宣教師が伝道を始められた頃、「動く教会」として福音伝道船「眞光丸※」があり、船長の馬野氏が救われた証しをお聞きしたことがある。泉佐野の港の近くに高い塔のある教会が建てられた。漁師たちは、この教会の十字架の光に慰められていた。ある日、大しけに遭い、馬野氏の船は浸水、エンジンは故障し、港の方向が分からず絶望のふちに立たされた時、教会の十字架の光で難を逃れた。後日、馬野氏は教会にお礼に伺い、信仰へと導かれ、後に眞光丸の船長として伝道をされた。余談であるが、その眞光丸には中村榮志先生や橋本昭夫先生が乗られ初期の教会の尊い働きをされたのである。その後、船は廃船となり港での伝道は終わることとなった。 

私たちも、人生の海の嵐から救われた幸いをかみしめたいと思う。

※眞光丸とは、『その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。』(ヨハネによる福音書 1:9)から名付けられました。

2020.8.2 本日の説教要旨「命の種の成長」 

 主イエスが5千人の群衆を養った有名な箇所を学ぶ。男だけ5千人いたというのは男女の差別ではなく、男を「戸主」として5千世帯といってもよい。教会に初めて行った人が、「主イエスはまるでスーパーマンのように、5つのパンと2匹の魚で5千人を養った」という記事につまずいたことを聞いたことがある。確かにこの話は非現実的で理解しにくい。

 奇跡の行われたベッサイダという町はローマの支配下にあり、2つの行政が入り混じっていた。その中で飼い主のいない羊のように主をしたって来る群衆を主は「腹わた」の痛む思いで心を痛めておられた。この奇跡で注目したいのは、可能と不可能である。5千人を養うのに5つのパンと2匹の魚しか無い。私たちの人生もこのような局面に陥ることがある。

 石井十次は関東大震災で被災した子どもたちのために岡山孤児院を造り、1千人以上の子どもたちを養った。毎日の食費に窮し、隣りの寺の境内で毎日祈った。毎日祈ったので、その場所は草が生えることはなかったという。神は彼の祈りを聞かれ、米が施設に送られてきた。映画にもなった有名な話である。神さまは不可能を可能にして下さるお方である。