牧師の一週一言

2020.9

2020.9.27 

 私たちの教会は礼拝が始まる前にチャイムが流れている。
 礼拝の前は礼拝にお招きくださった神に感謝し、黙祷をもって礼拝に備えることが大切である。ある人は、礼拝の前奏の時を「全宇宙の無声の賛美の声が信徒を呼ぶ」と言った。
 シュバイツァーは幼少の頃、礼拝堂で奏でるオルガンの音色に心を揺さぶられる経験をした。また、私の知人は初めて礼拝に出席した時、前列で祈っておられた年配の信徒の姿を見て信仰に導かれた。
 私たちが生きている状況、特にコロナ禍にあっては、動の世界を生きていると言える。その中で、静の世界に深く関わる事によって、日常の動の世界を生きる事ができるのである。主イエスのご生涯を見ると、神さまと対話する静の世界を大切になさっていることがわかる。
 礼拝の始まりの意味をじっくりと味わい、恵みをもって私たちの前に立ってくださる神の臨在に、黙して頭を垂れたいものである。

2020.9.20 

 『白髪(しらが)は輝く冠、神に従う道に見いだされる。』(箴言 16:31)

 本日は、人生の先輩の兄弟姉妹と礼拝を共にすることができて感謝いたします。

 飯田寛夫さんが「机」というエッセイを書いておられます。

おじいさんが最近目立って物を言わなくなりました。言葉も上手く出てきません。一方おばあさんは大変元気で頭も冴えています。話をするにも「あれ、それ、これ」というので、「この家にはそんなものはありませんよ。」とビシッと言い返されてしまいます。おじいさんはムッとして二階へ上がってしまいますが、古机の引き出しを開けてみると、中学生の頃のハーモニカが出てきて、懐かしくなってつまりつまり吹き始めます。それを聴いたおばあさんは、昔を思い出して二人が恋人だった時のことを回想し心がなごみます。

 また川柳にはこのような句がありました。笑いは栄養の助けですのでいくつかご紹介します。

・改札を 通れずよく見りゃ 診察券

・カード増え 暗証番号 裏に書き

・こないだと 50年前の 話する

・妻旅行 俺は入院 猫ホテル

・恋かなと 思っていたら 不整脈        

.....この位にしておきます。

2020.9.13 

 ある所に、道に迷った新任の牧師がいました。自分がこれから働く教会の道が分からなくなったのです。そこで彼は道行く男性に「この辺に教会はありませんか」と尋ねました。すると親切に教会まで案内してくれたのです。そこで案内してくれたその男性に牧師が「ありがとうございました。お礼に今度私が天国までの道を教えますから、いらしてください。」と言うと、思わず吹き出した若い男性に「地上での道に迷うのに、なぜ天国への道がわかるのか」と言われてしまったそうです。

 以前、すでに召された神学校で机を並べた友に「天国への道を発見したが、人の心が分かり出したのは最近ですよ」と言われてハッとしたことがあります。
 私は一つのことを決断するのに、まるでラグビーのスコアのように51対49とか52対48の割合が多いのです。私も方向音痴で良く迷い込んでしまいます。人生の迷い道に迷い込んでしまうと、そこからなかなか抜け出すことができません。
 コロナ禍の恐れと迷いと不安の中でも、主イエスを信ずる信仰に固く立ち、み言葉に養われて生活したいと思います。

2020.9.6 

 子どもの頃によく道草をしたものである。落ち葉のきれいなものを見つけると拾い、蜂の巣を見つけて、その辺で動く蜂の様子を伺い、近道をするために畑の中を通って叱られたり、とにかく道草は楽しかったものである。
 旧約聖書を読むと、長い間エジプトの奴隷となって苦しんでいたイスラエルの民が、神より選ばれた指導者モーセを通して、奴隷の地から脱出した。民は「さあ、神が約束して下さった地にまっすぐ入れるぞ」と思っていたが、何と40年という長きにわたって、神はイスラエルの民に道草をさせ、回り道をさせたのである。
 ある立派な経営者で趣味も広く、人情味もあり、多くの人から尊敬されていた人がいた。それで「あなたはどうしてそのような豊かな生き方ができるのですか」と問うと、「私は学生のときに結核を患ったんですよ」と答えられたそうである。
 このコロナ禍にあって、道草かもしれないこの時は、神からのうながしの時ではないだろうか。人生の道草は、神が豊かに生かして下さる試練なのである。