牧師の一週一言

2020.10

2020.10.25 

 以前礼拝でもお話しましたが、ある人がフィリピンに旅行した時にオボタスという港を訪ねました。岸壁に大きな船が幾隻もあり、案内人から、日本に向かう冷凍船でエビを冷凍しているとのこと、昔のようにフィリピン人はエビを食べることができなくなったことを知らされました。
 その人はこの話を聞いた時、「日本人は安いエビをたらふく食べて幸せだと思っていた自分が恥ずかしく思いました。」と言うと、フィリピンの人たちに、「昔、私たちは小さな網でエビを獲っていたが、今は外国の漁業会社がやって来て、根こそぎエビを獲って行くので、やがてこの海からエビがいなくなるだろう」と言われたそうです。


  『あなた方は、地の実りを刈り入れる時は、畑の隅々まで刈り取るな。また、あなたの地の実りを拾ってはならない。なぜなら、それは貧しい者や寄留者のために残しておくことが、自分自身をも生かす道である。』(レビ記 19:9)
 本日お迎えした中村先生ご夫妻のお働きを覚えて感謝いたします。

2020.10.18 

 説教者であり、牧会者の宿命でしょうか。私は、土曜日の夜になると不安にとりつかれます。〝明日の説教は大丈夫だろうか。明日の礼拝にはあの人この人はみえるだろうか。あの人の病気回復はどうだろうか〟と心配になり、〝自分は小心者なんだろうか。それとも心配症なのだろうか。〟と悩む時があります。しかし、よく考えてみますと、私は土曜日の夜の不安がないと逆に不安になり落ち着きがなくなるのです。
 ところで、不安にさらされるのは牧師だけではありません。信徒の方々もそれぞれ何かしら不安を抱えて生きておられるのではないかと思います。コロナ禍にあって、会社の経営者は会社の経営、ある人は健康の不安、またある人は経済的な不安の中で日々を過ごしています。このような不安のさ中にあって、神のひとり子主イエスは、私たちを救うために、悩み多きこの世に救い主として来られました。

 死の不安に脅かされる私たちを、復活の力によって生かして下さるのです。

2020.10.11 

 こんな話があります。ある日の礼拝に一人の男性が出席しました。

礼拝の後、その男性の紹介があり「一言ごあいさつを」と司会者に促された男性は「私は隣りの町の教会の信徒です。あいさつがてら面白い話をご紹介します。私の教会の司祭は、山羊を飼っていて、この山羊を可愛がって育てていましたが、礼拝の前日に司祭の説教の原稿を食べてしまったので、その日の説教は大変短くて皆が喜びました。」と話されました。すると、一人の教会員の男性がやって来て、小声で「その山羊を貸して下さいませんか」と言われたとのことです。
 私はこの話を読んで思わず苦笑しました。最近はコロナ対策で礼拝を短縮していますが、時には「下手の長談義」で説教が長くなります。私も「山羊を貸してくれませんか」と誰かに言われそうです。自戒してみ言葉の御用にあたりたいと思います。

2020.10.4 

 先日、本棚にある「ことわざ辞典」を開いて何気なく目を通しました。
 すると「病上手に死に下手(やまいじょうずにしにべた)」という言葉がありました。「しょっちゅう軽い病気をして医者にかかる人の方が長生きをする」という意味らしい。これを読んで「これは私にも当てはまる」ことだと苦笑しました。毎日野菜をたっぷり食べ、薬草をお茶にして飲むなど朝食を済ませた後、1時間余りウオーキングをし体操をする。まさに病上手の死に下手を地でいく生活をしています。先日も、久し振りにお会いした知人に「いやー、顔色も良いし、元気そうですねえ」と言われて、思わずこの諺を口にしました。 
 神さまのみ手の中にある人生を生かされている幸いを感謝し、教会の病んでおられる方々のことを覚えて日々祈っています。
 「病気にならない体があったらいいのに」は18日のサンド先生の説教題です。サンド先生は9月に来日の予定でしたが、一旦キャンセルとなり、10月2日にノルウェーを出発されたと伺っています。18日を楽しみにされているとのことでした。