牧師の一週一言

2020.3

2020.3.29

 和歌山県の南部で伝道されてい升崎外彦先生の本を読みました。
 升崎先生は、ご自分の生涯で出会った三人の人物について記していました。  第一の人は、石井十次先生です。岡山で孤児院を創設し、信仰と祈りをもって多くの孤児を養いました。升崎先生は名古屋の工芸高等学校で石井先生にお会いし、「ぞうきんのようになれ」と教えられたそうです。二番目は、日本の救世軍の生みの親である山室軍平先生です。この先生からは、「失われた一人」という事を教えられたそうです。升崎先生も世の中から厄介者と言われた人をお世話されましたが、山室先生の感化によります。三番目に出会った先生は、賀川豊彦先生で、「土下座の人生」という事を学んだそうです。これは、神に仕え、人に仕え、社会に仕えていく人生です。
 升崎先生の人生は、三人の先生との出会いにより、出来上がったといってもいいでしょう。それと同じように、人間は誰でも、その生涯において何人かの人と出会い、その出会いによって、今の私をつくっていると思います。
 しかし、私たちにとって最大の出会いは、イエス・キリストとの出会いではないでしょうか。

2020.3.22

 コロナウイルスの蔓延で世界中がパニックに陥っています。先週は通常の礼拝を在宅礼拝に切り替えましたが、今週から教会で短縮で礼拝をすることにいたしました。

 先週、本部より福井徹先生が86歳で天に召されたという知らせを受けました。先生は、長い間宝塚教会で奉職され、定年退職後は三田北摂教会に籍を置かれて、昨年まで近隣の教会で説教のご奉仕をされていました。

 私と先生は、聖書学院の2年コースを学び、その後、四日市教会で牧会している時に、近くに住居を移され、私は独身でしたので亡き奥さまの手料理を戴いたことが懐かしくよみがえってきます。その後、私が議長の時には副議長として支えて下さいました。当時、一緒にノルウェーに研修旅行に行ったことも良い思い出です。一度、八尾教会にお招きをしたいと思いましたが、高齢となられて叶いませんでした。

 突然のご逝去の報に接し、頭から離れず、寂しさがつのります。

 ご遺族の上に主の慰めと平安をお祈りいたします。

2020.3.15

 新型コロナウィルス感染者が広がりつつありますので、突然ですが、在宅礼拝とさせていただきました。

【みことば】

わたしの魂よ、主をたたえよ。

わたしの内にあるものはこぞって

   聖なる御名をたたえよ。

わたしの魂よ、主をたたえよ。

主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。

主はお前の罪をことごとく赦し

病をすべて癒し

命を墓から贖い出してくださる。

慈しみと憐みの冠を授け

長らえる限り良いものに満ち足らせ

鷲のような若さを新たにしてくださる。

【終息の祈り】

「天の父なる神さま

 新型コロナウイルス感染のために試練のときを迎えています。

 あなたがお創りになった世界をお守りください。

 どうか、あなたの恵みと憐みを、私たちに示してください。

 一日も早くこの病の流行が終息しますように。

 この病で苦しんでいる方々を守り、癒してください。

 この試練の時も、私たちの生活と、魂の健康をお守りください。

 この世の悪の力、死の力に勝利された主イエス キリストの御名によってお祈りします。  アーメン」

2020.3.8

 俗に「1月行く、2月逃げる、3月去る」と言われるが、まさに「光陰矢のごとし」月日の移り変わりの速さは待ったなしです。
 随分前になりますが、世界の屋根と言われるヒマラヤの東端に位置するブータンがテレビで紹介されていました。高くそびえ立つ山々に囲まれたブータンの人びとについて「彼らは高い山々を見て育ったため、顔も身体もたいへん美しい。実に清らかな感じがします。」と生活を共にしてこられた解説者が話しておられました。
 ある企業の熱心なクリスチャンの社長さんが、同じ教会員が社長室を訪ねた時、窓を開けて「私はこの高いビルから窓を開けて眺めると、空を自由に飛び回る小鳥たちを見て、神さまはすべて守っておられると思います。苦しい時や巧くいかなかったときも神さまに委ねることができるのです」と言われました。
 苦しいこと、心配ごとの山ほどある私たちの人生に、高きにいます神にいっさいを委ねて生きることの平安は、何ものにも代えがたい神からの賜物だと思います。

2020.3.1

 以前私が牧会していた教会で、たいへん熱心な信徒がおられました。
教会の役員を務め、日曜学校の礼拝も忠実に守っておられましたが、家を新築したために、日曜日もパートで働かなければならなくなり、教会から遠ざかってしまいました。役員や私が訪問し、夕礼拝の出席を勧めましたが、信仰生活から完全に離れてしまいました。私は洗礼を受けようとする人たちや、実社会に出ようとする人たちに、日曜日に休める職場を探すように勧めています。「キリストの教会」から離れてしまうと信仰が健全に成長しないからです。
 ある教会の方から聞いた話ですが、「自分は教会から離れてしまうと霊的に枯れてしまうので、地域の集りの世話役や役員は断って、出来ることは積極的にします」と言われていました。
 キリストの教会につながっていることによって、私たちの信仰生命は保てるのではないでしょうか。