りんごの木

田畑淳牧師と川﨑かおり伝道師による日々の糧となる気付きや恵みをいただきます。どうぞお楽しみに!

(不定期更新)

2022.10〜11

2022.11.16  

 

「準備をするまいと、心に決めなさい」ルカによる福音書 21:5-19

 感染症の流行や戦争、世界中で起こる自然災害や飢饉といった現実と、聖書が語る終末の御言葉に、どこか不安を覚え心が騒ぐような事があるかもしれません。

 

 聖書は、この世のはじめがあり、終わりがあると語ります。はじめに神が天と地、すべての命ある生き物、そして私たちを創られました。そして、この全てに「終わり」があると。しかし、聖書がこの「終わり」を伝えているのは、私たちに恐れや不安を与える為ではありません。
 イエスさまを信じる者にとって聖書が語る「終わり」は、神さまが創られたこの世界のはじめがあり、終わりがあるという「完成」の意味だからです。神様の目的は最後まで、一人ひとりの救いにあります。ですから信じる者にとって神様の「終わり」喜びなのです。その時、顔と顔を合わせて主なる方とお会いし、神様は私たちに永遠の命を与えてくださいます。
 「全ての罪人を愛し救う為、ご自身の命をかけてくださった愛なる方が約束してくださっている」。私たちはこの約束に信頼して、神様の終わりを期待しながら待つ者なのです。
 それは、恐れや不安を抱きながらただ待つしかない、という事ではなく、神さまの約束、聖書が言う終わりを見据えながら、今を生きるということです。

 

 イエスさまは「今」起こる、私たちにとって絶望にしか見えないような現実は、実に「イエスさまを証しする」という大切な使命を果たす場となると言われます。そしてその為の一番の準備を教えてくださいました。それは「準備をするまいと、心に決めること」です。その時、イエスさまが語るべき言葉と知恵を与えてくださるからです。そのようにイエスさまに信頼して生きる今が、主を証しする場となります。終わりを見据えながら、イエスさまに信頼して、今を生きなさい。今日の御言葉は語ります。
 たとえ大きな神殿の石が一つ残らず崩れても、私たちの髪の毛一本すら決してなくならず、それをも支配される方に目を向ける時、私たちは命へと繋がる「忍耐」をいただきます。そして、どのようなことが起ころうとも惑わされず、怯えず、落ち着いて、今日与えられている使命に生きることができるのです。

2022.10.11  

 

「私の信仰が弱くても…」ルカによる福音書 17:5-6

 イエス様の弟子たちが「私たちの信仰を増してください」と願った時、イエス様は、「からし種一粒ほどの信仰」があればいいのだ、と言われました(ルカによる福音書 17:5~6)。

 

 カラシの種は、砂粒よりももっと小さい種です。しかし、どんなに小さくてもゼロではありません。信仰もそうなのです。私たちの信仰が弱くても、からし種のように吹けば飛ぶような小さな信仰でも、あるかないか分からないような信仰でも、イエス様を信じているならそれでいい、ということです。

 信仰とは強い信念ではありません。信仰とは、私たちを救ってくださるイエス様を信頼することです。信仰とは、私たちがより強くなることではなく、弱い自分のままイエス様に飛び込んでいくことです…私たちの罪の赦しのために十字架にかかってくださったイエス様に。

 信仰が弱くても、足りない所があっても大丈夫です。「あなたの信仰の強さ」があなたを救うのではなく、信じる相手であるイエス様があなたを救ってくださるのですから。「自分がどれくらい強く信じるか」よりも、「だれを信じるか」「だれに信頼するか」が大事なのです。

 

「私の信仰は弱いからダメだ」と思う必要はありません。むしろ、そのような人のためにこそ、自分の弱さに嘆くしかない者のためにこそ、イエス様は来てくださったのです。